乙樽母子の苦難
沖縄ツアーなどで多くの観光客が訪れる人気の史跡、今帰仁城跡。
ここには伝説の美女とうたわれた、志慶真乙樽という女性の詩が残されています。
乙樽はとても不幸な女性でした。
その美貌のために王の側室となり、老年の王のために念願の子を産みますが王は逝去。
しかも若按司(乙樽の子ども・若い王子の意)のタンカー祝(生後一年目の祝)の晩に、城内にクーデターが起りました。
家臣の本部大主というものが、若按司を殺して王位につこうとしたのでした。
しかし、忠臣謝名大・王があやうく若按司を守って、乙樽とともに城外にのがれました。
二人は城の裏手の「クバの御嶽」の岩穴で一夜を明かしましたが、そこは危険だったので、日中はそこにかくれていて、夜とともにまたそこを抜け出しました。
二人は相談して、若按司を領内でもっとも遠い山田部落の大主(首長)にあずけることにしました。
そして、乙樽は世に稀な美人で目立ち、すぐ追っ手にかぎつけられますから、若按司とは別れることになりました。
若按司は後日必ず本部大主をたおして王位を継がなければならない大事な御身ですから、と謝名大主に説得されて、乙樽は泣く泣く愛児と別れなければならなかったのです。
しかし、それでも若按司をすぐ手放すことはできず、夜道を二里ほど歩いて、いまでも「別れ川(わかりがー)」といわれている泉のところで、最後の別れをしたといわれています。